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SIGMUS回想記

1995年、96年度のSIGMUS主査を務めた。その当時の状況を思い出しつつ以下に述べていくこととする。

80年代の音楽情報科学研究会(任意団体 略称:音情研)、その後の情報処理学会(IPSJ)の研究グループを経て、93年度から正式にSGMUSとして研究会活動が始まった。初代の平田主査の後の2期目としてSIGMUSの運営を行った。

今、当時を思い起こしてみると色々見えてくるものがある。80年代の音情研発足当時は、音楽とコンピュータ好きが集まった同好会的な集まりであった。当時は、皆、若かったし未来への夢を熱く語ったことを覚えている。現在まで続いている合宿形式の夏シンポはその中から生まれた。多様な関心のある人たちが集まっているのも魅力であった。特に、情報系の人間にとっては、音楽サイドの人たちと触れあう機会ができたことは何より大きい意味を持っていた。その後、何年か活動を続けていくと、より専門性の高いステージを目指そうとする機運が生まれてくる。IPSJに所属している人たちが多かったことから情報処理学会の中に活動の場を見出そうとするのは自然の流れではあった。ただし、IPSJの中に入るということは、音楽サイドの人たちの敷居を高くすることになるのではないかという危惧はあり、当時、研究会移行に当たっては色々議論をした。2重構造にできないかというような案も出たが、準登録という制度で行こうということで、体制が固まり現在に至っているわけである。

さて、93年度から正式に研究会になったわけであるが、直後にメンバにとって最大のイベントが待ち構えていた。コンピュータ音楽国際会議ICMC93 Tokyoの開催である。ホストは早稲田大学であったが、その実行メンバの多くはSIGMUSの面々であった。ここでは、その詳細には触れられないが、ほとんどがまだ30代のスタッフであり、今思い起こすとよく乗り切れたと思う。

そのような経緯の中、95年から会の運営を行った当時を社会的な状況も含めて回顧してみる。
 まず、会員数は発足当時から数年間は300人前後で推移した。ICMCで少しは認知度が上がったようにも思えるが、そう急には盛況とは行かなかった。(もっとも、スタッフにICMC疲れ?があったのかもしれませんが)会の運営としては、まずは会員数(つまり、会費の収入)の確保が必要だった。それに対して支出(主に研究報告の印刷、郵送費)が大きくなっては赤字になってしまう。そうならないようにバランスを考える必要がある。原稿のページ数の制約もあった。たくさん発表を集めてページ数が増えてしまうと困るというジレンマである。もっとも、その当時は、そんなに発表が殺到するようなこともなく、バランスが取れていたようには記憶している。学会での主査の会合では、我々は何か中小企業の経営をやっているみたいだ、という話をしたことを覚えている。
 年間計画としては、夏シンポを含む年間計5回の研究会の開催であったが、これらは発足当時からの伝統となっていたものである。さらに、学際領域の特色を生かすためにも、音楽音響研究会(MA研)、東洋音楽学会などとの共催を何度か企画した。そのような人たちには準登録で会員になってもらうことを勧めていた。主査を務めた2年間は、それらの研究会の開催の計画、開催場所の選定に苦心した。幹事や連絡委員に持ち回りで担当になってもらう方法を採っていたが、そのような連携がうまくできたから何とか運営ができたと当時の皆様に感謝いたします。

90年代という時代は(今となっては一昔の歴史ですね)、情報処理産業としても激動の時代だった。80年代後半から90年代半ばにかけては、音楽関連では、MacとNeXTコンピュータが主流であった。ちょうどWindows95が出て一般の人々にPCが爆発的に普及しようとしていたころでもある。インターネットも同様である。もっともe-mailは80年代の後半には音情研の中では当たり前のように使われていて、メーリングリストもほぼ同時に使い出してコミュニティーの形成に大いに役立った。これは、他の研究分野を含めた中でも最も早い方ではないだろうか。(もっとも当初の通信は電話回線を使ったuucpが多くて時間はかかったが) さらに、インターネットのWWWは、(私の記憶では)94年に最初に使ったのが始めであった。(当時のブラウザはSUN W.S.のMosaicかMacのNetscapeだった。一時期、NeXTのOmniWebも使っていたが、これも今となっては懐かしい思い出である)
その後のPCやネットの普及には目を見張るものがあるが、まさに90年代の半ばはその分節点だった。SIGMUSも95年にホームページを開設したが、当時はまだあまり普及しているわけではなく、実験的なものであった。このように見てくると90年代の半ばは、一般の人たちがIT環境を使えるようになり大衆化されていった時代でもあった。SIGMUSもそのような大きな流れの中に位置しており、現在に至っていることを改めて認識する。

SIGMUSの活動の一つとして、インターカレッジ・コンピュータ音楽コンサートが95年に初めて開催された。これは、ICMCの流れを汲むもので、現在まで活動を広げている。コンピュータ音楽の実践の場としてSIGMUSの活動の中でも大きく育った分野であろう。初回は国立音楽大学で行なわれた。コンサートの実際の運営は、国立音大の教員と学生の方々にがんばってもらったので、SIGMUSとしては、通常の研究発表例会の手続きで済んだ。覚えているのは、予想よりもたくさんの入場者があって用意した研究報告の冊子の部数が足りなくなったことである。慌てて学会の事務局に電話したが、すぐに送ってもらうのが間に合わず、後日、郵送してもらうことにした。何事も最初という期待感には熱気が宿るもののようだ。そういう時期に出会えたことは幸運なことだと思う。

これ以後の90年代の後半から現在までの流れについては、また追って語られると思うが、最後に当時を振り返って個人的に思うことを述べたい。
 当初の同好会的な音情研時代はこれから何か面白いことが起きそうだというワクワク感があった。毎回例会の後には、飲み会に繰り出し、実はそこで今後の活動方針が議論され決まることが多かった。それを楽しみに参加している人もいたくらいである。しかし、より高い次元に向かうとなると、どうしても専門性が要求される。正式な学会に所属するという選択はそんな中から出てきた。これは進化の過程としては自然なことともいえるが、一方である程度は自由な雰囲気を狭める方向にも働くこととなる。もっともSIGMUSは音楽という普通の人には趣味や遊びとみられている分野を扱っていることもあり、他の分野と比べればずっと自由な雰囲気が残っていることは特筆すべきことであるのだが。そんな中で、いわゆる「コンピュータ音楽」の分野では、ICMCや国内のインターカレッジなど大きな広がりを見せていることは誇ってよいことだと思う。もっと大きな広がりとしては社会的なものである。このような分野は、当初は一部の研究者や現代音楽の作家だけが属する特殊のものであり、広く社会に受け入れられているとはいえなかった。しかし、90年代後半以降のPCやネットの普及もあり、SIGMUSの分野で扱う技術は広く社会に受け入れられることとなった。例えば、VOCALOIDによってネット上に流通している音楽は、もはやグローバルな音楽文化の一部といってもよいだろう。また、Maxなどのプログラミング環境もクラブ系の音楽などでは普通に使われている。(88年にIRCAMを訪問する機会があり、そこでMaxの原形を見せてもらったが、まさかそれらが現在このようになるとは当時は想像できなかった)つまり、大きく言えばSIGMUSが扱っているテーマは一部のもの好きの研究者や作家だけのものではなく、社会的にも影響力を持つことを認識しなくてはならないということである。近年のある音楽学系の学会で、大学院生が「コンピュータ音楽におけるメディア、相互作用、パフォーマンス、ライブ性」といったテーマを扱った研究を発表するのを聴いた。若い世代にとっては、音響合成、電子音楽やICMCの辿ってきた歴史が、現在の音楽文化と一連の流れとしてつながっているのである。SIGMUSの社会の中の位置を正しく把握し、さらには未来に向けて新しい音楽文化を創造するくらいの意識を持ってもらいたいと期待する。

以上はテクノロジーと音楽が幸福に結びあった例であったが、一方で、個人的にひとつ心残りの分野がある。音情研の時代やSIGMUSの初期には、音楽学や民族音楽学の人たちも数は多くはないものの興味を持ってもらい一緒に活動した。特に民族音楽の研究者とは東洋音楽学会などを通じて研究会の共催なども行った。いわゆる人文系の人たちの中には、彼らにとって当時はまだ得体の知れない情報科学の分野を用いて、何か音楽そのものの研究を進展できないかという期待があった。文字通りの学際領域である。世界中で生み出されてきた「音楽」は膨大であり、そこには多種多様の属性が存在する。そのよう音楽を研究する音楽学の分野で情報科学が何か貢献できないかということである。音楽学系と情報科学系の研究者が接することになるわけである。お互いに相手の分野には強い関心を持っており、何か新しい分野が生まれるのではないかという期待を持っていた。しかし、特に異分野の間では、まず相互の専門用語の理解から始めなくてはならない。しかし、それはなかなか難しいことなのである。特に、SIGMUSになってから情報系の専門性が強くなってくると、どうしても研究発表を聴いても、人文系の人たちには何を言っているのか理解できないということが起こってくる。本当はわかりやすい言葉で丁寧にその意味を説明できればよいのだが、時間の制約もあってなかなかそれもできない。準登録制度で、できるだけそのような音楽学系の人たちにも加わってもらおうとしたが、残念ながら少しずつ両者は離れていってしまった。これらの分野は、まさにアカデミックな分野であり、実利が伴うものではない。しかし、新しい音楽文化を創造するという使命はもちろんであるが、過去の音楽、今存在する音楽を未来につなぐために、それらをきちんと記述しておくことはとても重要なことだと考える。ただし、それから20年経過した現在、PCやネット環境は、誰でも使えるものとなってきているので、また新しい流れが生まれてくるかもしれないという希望も感じている。

音情研発足から四半世紀、SIGMUS発足から20周年ということは、人間でいえば成人になったということである。逆に言うと過去を振り返り、歴史を語るということにもなる。それらを検証した上で、さらなる20年を目指し、より一層の発展を期待しています。

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