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音楽を対象とすることの難しさと可能性

音楽が好きでこの領域に飛び込んできたという人は少なくないはず。かく言う筆者もその一人です。好きな対象を研究の対象とすることでモチベーションばっちりです。でも、この領域には、3つの大きな難しさを乗り越える必要があります。

1. 音という揮発性の高い時系列メディアが対象であること
2. 人の内的な経験が研究対象となること
3. 娯楽や趣味に関わる領域を対象としていること

エンタテインメントコンピューティグという研究領域も立ち上がっている現在、どうして三つ目が困難なのと思われる方もいるかも知れませんが、音楽情報処理の黎明期(1980年代)には、研究者や学生はいわゆる「真面目研究」に取り組まなければならないという空気が有りました。5時から仕事でプログラムを書きつつ、同士を探していくという中での研究のスタートでした。産業構造の変革、2000年代に入って以降は、インターネットの社会的浸透、さらに、動画共有サイトに代表される情報発信手段の普及に支えられ、個人ベースの「想い」やニーズをベースとした取り組みが社会・産業的にも後押しされる時代になりました。3つ目の難しさは克服されたと思います。

一つ目、二つ目の難しさ、時系列メディアが対象であること、人の内的な経験が研究対象であることは、音楽を扱う際の本質的な課題です。音楽は時間とともに刻々と変化する音を媒介とする芸術です。そして、音楽の意味は音を受容する人の内的な経験によって形成されます。物理的なデータとしての音の記録し、人の内的な経験を客観化した音楽表象と関連づけられるデータ構造、あるいは、処理構造を考えていく必要が有ります。内的な経験の中には、和音の協和感やカデンツの終止感など、ほぼ万人がそう感じるものから、個人によって大きく変わる音楽嗜好等、さまざまなものがあります。内的な経験を対象とすることは、モデリングの難しさとともに、平田さんが指摘されたように評価の難しさに直結しています。

学術研究は、先人が得た成果に基づいて未知の成果を積み上げ、そして次代の研究者による研究成果の礎とする、という形で発展を遂げてきました。その成果の積み上げを記録する公式文書が学術論文です。言うまでもなく論文は科学技術の発展にきわめて大きな役割を果たしてきましたが、紙ベースのメディアでは、揮発性の高い時系列メディアを収めることはできません。音楽の場合、生成された「音」「音楽」そのものが実験結果、ひいては、研究の主張につながることも少なくないでしょう。

今後、論文に代わって、音や映像等の動的メディアを収めた論文(以下、論文メディア)が定着していくことで、この領域はより大きな発展を遂げていくものと考えます。実験結果を見ることができるということは、二つ目の問題として指摘した、「人の内的な経験が本質的な研究対象となること」にも関連しています。従来の実験系の学術研究のほとんどは、実験を完了し、その結果を報告するというスタイル、すなわち、クローズドなスタイルで実施されてきました。実験に使われたデータを読者が視聴できるようになると、読者自身が被験者(経験者)になり得ます。筆者自身、学会で聞かせてもらった「音」の質・印象によって、新たなテーマの着想を得たという経験も有りました。結果と検討の一部をオープンにしたオープンスタイルの学術アプローチをプロモートしていくことで、内的な経験が本質的な対象となる研究領域は、さらなる進展を遂げるのではないかと考えます。その先には、プログラムによって結果が日々刻々更新されるというような研究アプローチも考えられると思います。論文メディアは技術的には実現可能な状況には至っていますが、主として制度設計の難しさから、現状では、定着とまでは至っていません。その実現に向けて音楽情報処理領域が先陣をきることができれば、と期待しています。

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