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インターカレッジ・コンピュータ音楽ワーキンググループ 2007-2008年度代表
菅野 由弘 (早稲田大学 理工学部 表現工学科)
(2007年2月)

コンピュータ音楽とは?

昨今のコンピュータの発達は、当然ながら、音楽表現にも大きな影響を与えて いる。「コンピュータ音楽とは何か?」と問われると、非常に多岐にわたり,答えに 窮する側面もあるが、要は、コンピュータを表現活動のツールとして使用している 音楽は、全てコンピュータ音楽と言える。コンピュータ自身に発音させるもの、 コンピュータの計算能力やデータ処理能力を、音の動きやリズムの振る舞いに 応用したもの、そしてコンピュータによって、リアルタイムに演奏を変化させるもの などである。そしてこれらは、今後の更なる可能性の開発によって、応用範囲が 無限に増えてゆくものと思う。その意味では、研究者や技術者と、表現者としての 作曲家のコラボレーションが非常に重要である。

さて、コンピュータを使った表現活動、言い換えると、コンピュータを利用した 芸術活動が、どのような方向性を持つか、ということに言及するため、音楽の 定義づけを試みたい。

シリアス・ミュージックとコマーシャル・ミュージックについて

一般に「音楽」を区分する際には、「クラシック系」と「ポップス系」に分けることが 多い。これは、ジャンル別、もしくは音楽のスタイルを指す時には有効な区分で あるが、音楽の内容を示そうとする時には、必ずしも有効ではない。

例えば、菅野は「クラシック系」の教育を受けた作曲家だが、「ポップス系」の曲も 書く、つまり、ジャズやタンゴも作曲しているので、このような言い方が成り立つ。 しかし、次の場合はどうだろうか。菅野はNHK交響楽団の委嘱でオーケストラの ための「崩壊の神話」を作曲、またNHK大河ドラマ「炎立つ」の音楽も作曲している。 この場合、前者はクラシック系現代音楽で、少なくとも作者は芸術音楽だと思って 書いている。後者はクラシック系劇伴(テレビ)音楽で芸術的作品ではない。但し、 両者とも菅野が作曲し、NHK交響楽団が演奏しているクラシック系の音楽である。 こうしたことを考えると、音楽は、ジャンルではなく用途で分ける方が分かり易い。 すなわち「シリアス・ミュージック」と「コマーシャル・ミュージック」。先の例で考えると、 「崩壊の神話」はクラシック系シリアス・ミュージック、「炎立つ」はクラシック系 コマーシャル・ミュージック。コマーシャル・ミュージックといった時に、日本では いわゆるCMを思い浮かべる人が多いと思うが、この場合CMを指さない事は確認 しておきたい。また「商業音楽」というと、妙に低次元に感じられるが、その感覚も 払拭して頂いた上で、この表現を使いたいと思う。音楽にはスタイルの違いや 用途の違い、また当然好き嫌いもあるが、どれが良い悪い、という問題ではないし、 価値の上下もない。

「シリアス・ミュージック」は創造的作品で、オリジナリティ(個性)、先進性(新しさ)、 芸術性が必要とされる音楽(少なくとも、それを目指している)、一方「コマーシャル・ ミュージック」は先進性よりも聞き慣れたものが求められ、過去の多様なスタイルを 踏襲して作られる実用音楽である。そして、当然ながら、クラシック系「シリアス・ ミュージック」とポップス系「シリアス・ミュージック」の両方が存在する。 「コマーシャル・ミュージック」も同様である。ただし、多くのポップス系「シリアス・ ミュージック」は、同時に商業的にも成功しているので両方に含まれる、とも言えるが、 少なくとも作家の意図は明らかに「シリアス」な表現である場合も多く、商業的にも 成功した「シリアス・ミュージック」と位置づけたい(羨ましい限りである)。

我々は、少なくとも私は、自分のメインの仕事の一つとして、コンピュータや 最新のテクノロジーを応用した「シリアス・ミュージック」を目指している。次代を担う 新しい表現、新しい芸術の芽が顔を出すことを心から望んでいる。音楽は文化的 背景を背負って生まれてくる、時代を映す鏡だ。逆に言えば、文化的背景や、 精神的営為のないものは音楽ではない。研究者諸氏にも、この「文化」の部分を 大切に考え、音楽を単なる材料として扱うことなく、文化を育てる技術という側面を 再認識して頂ければ幸いである。


インターカレッジ・コンピュータ音楽ワーキンググループ

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